おはようございます。うたです。中3・中1・小3の娘3人を育てています。
6月に入りました。
年度初めの慌ただしさが少し落ち着いて、なんだかぽっかり穴が空いたような感覚になる頃って、ありませんか。
先週、職場で動物たちの世話をしながら、ふと思ったんです。
「私って、何のために働いてるんだろう。」
生活のため。娘たちのため。
もちろんそうなんだけど、それ以上の答えが、自分の中から出てこなかった。
少し前、夕食を食べながらなんとなく仕事の話になったとき、娘に聞かれたんです。
一瞬、止まりました。
「うん……ケージ替えたり、実験とか検査の作業してるんだけど」
そう答えたけど、なんか違う。
「好きかどうか」より先に「作業の説明」をしてしまった。
動物の世話といっても実際はケージ交換や実験・検査がメイン。「動物が好き」とはちょっと別の話で、娘の問いに、ちゃんと答えられていませんでした。
娘はそれ以上何も聞かなかったけど、私の中でずっとその問いが残ってしまいました。
手技は少しずつ覚えている段階。でも、これが本当にモノになるのか。管理者からも特に期待されていないような気がして、「自分はここで何かを積み上げられているんだろうか」という感覚がずっとある。
そう気づいたら、じわじわ焦りが出てきました。
もうすぐ50歳。このままでいいのか、という声が、心のどこかからしてくる。
ここ最近、副業でブログを書きながら、仕事や生き方についてよく考えるようになっていた。
余計に「本業の自分」との差を感じていたのかもしれません。
ある夜、皿を洗いながらYouTubeを流していたときのこと。
中野信子先生の動画がおすすめに出てきて、なんとなく聴いていたら、耳が止まりました。
🎥 参考にした動画
中野信子(脳科学者)のYouTubeチャンネル
「やらされてる感覚があるとき、脳はやる気を出せない構造になっている」という話。ドーパミンが分泌されるのは、自分から動いたときだけ、という内容でした。
「やらされている」と感じる仕事は、脳にとってもストレス。でも同じ仕事でも「自分が選んでやっている」と意識を変えると、脳の反応そのものが変わる。
ガーン、でした。
「やらされてる」と「自分でやってる」の違いって、仕事の中身じゃなくて、自分の受け取り方なんだ、と。
0からの挑戦をしている、という気持ちはある。
少しずつ手技を覚えて、必要だと思われるような人になりたい——そう思って仕事に取り組んではいる。
でも考えてみれば、今やっている仕事の中にも、昨日より少しうまくなったこと、作業が少し効率よくなったこと、確かにある。
それを「自分の成長」として受け取るかどうか、全部自分次第なんだということに、気づいた夜でした。
それから少しだけ、仕事の受け取り方を変えてみています。
BEFORE
「また失敗した。管理者の顔色が気になる。私、この職場で必要とされてるのかな」(不安と自己疑念)
AFTER
「今日はこの手技、昨日よりスムーズだった。ゼロから始めた私が、確実に前に進んでいる」(小さな前進を自分のものにする)
劇的に変わったわけじゃないです。まだ「あ〜しんどい」って思う日もある(笑)。
でも、仕事を「させられている場所」から「自分のスキルを積み上げている場所」に——
少しずつ捉え直してみたら、なんかちょっとだけ、軽くなってきた気がしています。
ブログも仕事も、全部バラバラに見えていたものが、「全部、自分の資産になってる」という感覚が、少しずつ出てきています。
まだ毎日そう思えるわけじゃないんですけどね。
娘に「仕事、好き?」と聞かれたとき、うまく答えられなかった記憶がずっと引っかかっていました。
でも今なら少しだけ違う答えができそうな気がします。
「好きかどうかは別として、ちゃんと自分のものになってきてると思う」——そう言えたらいいな、と。
「何のために働くか」という問いに、完璧な答えはないと思う。でも、その問いを持ち続けることが大事なのかもしれない。
あなたは今の仕事、「こなしてるだけ」って感じることありますか?
もしあるとしたら、それはたぶん、何かを変えるサインかもしれません。一緒に、考えていきましょう。
- 「こなしてるだけ」は、何かを変えるサインかもしれない
- やらされ感の正体は「自分の言葉で語れない状態」だと気づいた
- 「何のために働くか」は答えが変わっていい。でも持ち続けることが大事

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