「AIに頼ったら、誰かが書いた文章になるからね」
中学校の先生が、娘にそう言ったそうです。
税についての作文、という夏の宿題が出たときのことでした。
その話を聞いて、私は「たしかに」と思いました。
そして次の瞬間、「でも」と思ってしまったんです。
おはようございます。うたです。中3・中1・小3の娘3人を育てています。
先生の言葉は、まっとうだと思います。
作文はその子の考えを見るための課題です。AIが書いた文章を出したら、それはもう本人の作文じゃない。先生の立場なら、私だって同じことを言います。
じゃあ、なぜ「でも」と思ったのか。
自分でもうまく言えなくて、洗い物をしながら、ずっと頭の隅に引っかかっていました。
AIを使うな、と教わって育った子は、大人になったとき困らないんだろうか。
だって、私が働いている場所でも、AIに任せられる作業はもう普通に任せる流れになってきています。若い人がやっていた仕事が置き換わりはじめている、という話も聞きます。
娘たちが働きに出るのは、10年後、15年後です。そのころには「AIを使えること」なんて、電卓が使えるのと同じくらい当たり前になっているはずで。
なのに「使うな」だけを覚えて育ったら、それはそれで置いていかれるんじゃないか。
答えが出ないまま、夜、スマホでYouTubeを開きました。
AIと教育について話している動画を、なんとなく何本か続けて見ていたんです。
その中に、こういう趣旨の言葉がありました。
AIは、使う人を映す鏡です。
こちらが何も考えずに聞けば、返ってくるのも、何も考えていない答えになる。
ガーン、でした。
鏡。
つまりAIは、答えを持っている機械じゃなくて、こちらが差し出したものを映し返してくるだけの存在だということです。
「税について何か書いて」と丸投げしたら、返ってくるのは、誰が書いても同じような、きれいで薄い文章。
先生が言った「誰かが書いた文章」って、まさにこれのことだ、と思いました。
でも、もしその子が、買い物のレシートを見て引っかかっていたら。
おかしは8%なのに、同じ店で買ったノートは10%。
なんで同じお店で、同じお金を出したのに違うの、と。
そこから出てくる言葉は、たぶん、その子にしか書けないものになる。
そのまま眠れなくなって、続きを見ました。
AIがどれだけ賢くなっても、人間に残る力が3つあるんだそうです。
AIが持っていない、3つの力
1.始める力
AIは「どうやるか」は出せても、「どこへ行きたいか」は持っていない。やりたいと思う気持ちだけは、人間の側にしかない。
2.不確実さを面白がる力
前例も正解もない状況を、不安ではなくチャンスだと思える力。変化が速い時代は、安定を選ぶほうがリスクになる。
3.人を巻き込む力
自分の思いを言葉にして、「それ、一緒にやりたい」と誰かに思わせる力。情報を伝えるのとは全然ちがう。
3つとも、机に向かって身につくものじゃないんですよね。
むしろ、正解のある問題を速く解く訓練ばかりしてきた子ほど、苦手かもしれない。私自身がそうだったので、耳が痛かったです。
そして、いちばん刺さったのがこれでした。
これからの子どもたちが自分を測る「成績表」は、偏差値じゃなくて、この4つになるという話です。
新しい成績表・4つの数字
①挑戦した数 こわいほうへ、何回踏み出したか
②失敗した数 恥じゃなくて、集めたデータの数
③指とまれの数 「一緒にやりたい」と手を挙げてくれた人の数
④表現した数 考えを形にして、外に出した回数
失敗の数が、成績になる。
思わず二度見しました。私たちが育った時代の、まるっきり逆です。失敗は減らすもので、隠すものだと教わってきましたから。
でも、言われてみればそうなんですよね。バットを振らなければ、一生当たりは出ない。振った回数がそのまま「学習データ」になっていく。
そこまで見て、やっと分かりました。
先生が言っていたのは「AIを使うな」ではなくて、「先に、自分がどう思うかを持ちなさい」ということだったんじゃないか、と。
何も思っていないままAIに聞けば、返ってくるのは他人の言葉です。それをそのまま出したら、たしかに「誰かが書いた文章」になる。
でも「これは納得いかない」という気持ちを先に持っていれば、AIは調べものを手伝ってくれる相棒になります。
同じ道具なのに、使う順番が違うだけで、まったく別のものになる。
禁止の話じゃなくて、順番の話だったんだな、と思いました。
先生、すみません。一瞬でも「でも」と思って(笑)
これはお金の話でもあるな、とも思っています。
調べる、まとめる、きれいな文章に整える。そういう「速くて正確」な仕事は、これからどんどん値段が下がっていくんだろうと思います。AIのほうが速いから。
じゃあ、何にお金がつくのか。
たぶん、「これ、なんかおかしくない?」と最初に気づく人のほうです。
調べるのも、まとめるのも、AIがやってくれます。でも、何を調べるかを決めるのは人間です。
気づく人がいなければ、AIは動き出すことすらできません。
そう考えると、さっきの4つの数字って、そのまま「稼ぐ力の練習」なんですよね。
挑戦して、失敗して、人を巻き込んで、形にして出す。
それって、働くことそのものじゃないですか。
だとすると、私が娘たちにしてあげられることは、先回りして答えを渡すことじゃなくて、「なんで?」を消さないことなのかもしれません。
……と、頭では分かっているんですけどね。
これがいちばん難しい。つい「こうすればいいよ」って言っちゃう(笑)
その作文を娘がどう書くのかは、まだ分かりません。手伝う気はないので、口は出さずにおこうと思っています。
ただ、もし「書けない」と言ってきたら、答えを教えるかわりに、こう聞いてみようかなと。
ちょっとレシート見てみようか。おかしとノート、税がちがうの知っとった?
うまくいくかは分かりません。「べつに」の一言で終わる可能性も、正直かなりあります(笑)
でも、AIに何を聞くかを決められるのも、AIの答えを見て「なんか違う」と思えるのも、結局は自分の中に引っかかりを持っている人だけなんだろうな、と。
それは道具の使い方を覚えるよりずっと時間がかかることで、だからこそ、中学生の今から始める価値があるんだと思います。
我が家では、娘が「なんで?」と言ってきたとき、こう返すようにしています。
確かに。なんでだろうね? ママも知りたいな。
答えを教えるかわりに、まず一緒に不思議がる。
親が「知りたい」と言えば、その気持ちは伝染すると思うんです。
さっきの3つの力でいうと、いちばん最初の「始める力」。
あれって、こういう小さいところから育つんじゃないかな、と思っています。
みなさんのお家では、AIとの付き合い方、どうされていますか。
「使わせない」も「使わせる」も、どっちも正解な気がして、私はまだ迷っています。よかったら教えてください。

コメント