娘の引退試合に、間に合いませんでした。
会場に着いたとき、試合はもう終わっていました。
働きながら子育てして14年。そんな私の、ある平日の話です。
おはようございます。うたです。中3・中1・小3の娘3人を育てています。
先日、中3の長女の中体連がありました。
テニス部として最後の大会。つまり、引退試合です。
ところが今年は、天候が不安定で。
個人戦も団体戦も延期になり、日程はずれこんで、平日開催になりました。
平日。
ワーママにとって、この二文字の重さよ……。
仕事の調整はつかず、当日の送迎は、ママ友が「一緒に乗せていくよ」と申し出てくれました。
本当に、ありがたかった。
職場の人は、言ってくれたんです。
その言葉が、どれだけありがたかったか。
でも、同時に思ってしまうんです。
私が休めば、その分の仕事は、誰かのところへいく。
いつも助けてもらってばかりなのに、また甘えていいんだろうか。
……結局、休みませんでした。
代わりに選んだのは、第3の道。
午前中に仕事を全部終わらせて、昼から駆けつける。
その日の午前中の私、たぶん人生でいちばん仕事が速かったと思います(笑)
仕事を終えて、速攻で会場へ向かいました。
でも。
着いたときには、娘の試合はもう終わっていました。
あとから聞いた話では、2回戦の相手は、のちに優勝した学校。
接戦の末に、敗れたそうです。
部員のみんなは、悔し涙を流していたと聞きました。
接戦だったこと。
悔しくて泣けるほど、本気だったこと。
その瞬間を、私は見ていません。
娘の部活の3年間は、私のいない場所で終わっていました。
帰り道、いろんな気持ちがぐるぐるしていました。
「休んでいいよ」と言われて、素直に休める人でありたかった。
でも、自分が抜けた分のしわ寄せがどこへいくのか分かっていると、甘えられない。
行けたのに、行かなかったのか。
行けなかったのか。
たぶん、どちらでもあるんです。
仕事を選んだんじゃない。でも、娘だけを選ぶこともできなかった。
この葛藤、働くお母さんなら、覚えがあるんじゃないでしょうか。
でも、家に帰ってから思ったんです。
送迎を引き受けてくれたママ友がいた。
「休んでいいよ」と言ってくれる職場の人がいた。
私はひとりで綱渡りをしているつもりだったけれど、実はたくさんの人に支えられていました。
そして娘は、母がいなくても、最後まで戦って、仲間と泣いて、自分の3年間をちゃんと締めくくってきました。
それはそれで、成長の証なのだと思います。
最後の試合は、見られなかった。
でも、この3年間をいちばん近くで見てきたのは、たぶん私です。
朝の送り出しも、疲れて帰ってきた顔も、ラケットを握り始めた頃の小さな背中も。
だから今回は、これでよかったことにします。
……いや、ほんとはちょっと悔しいですけどね(笑)
ちなみにこの数日後、娘たちは「3年生だけのお疲れ会」を計画するのですが——それはまた、別のお話。
「休んでいいよ」を、素直に受け取れないことはありませんか。
あなたの「間に合わなかった日」も、よかったら聞かせてください。

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