情報は受け取る。比較は受け取らない。
「塾、どこに行ってる?」「高校説明会、行った?」——何気ないはずのママ友トークで、なぜか心がザワッとしたこと、ありませんか?
おはようございます。うたです。中3・中1・小3の娘3人を育てています。
先日、三女の陸上大会の待機中に、長女と同じ学年のママ友と立ち話をしました。最初はよくある会話でした。塾の話、高校説明会の話、進路の話。中3の子どもがいると、どうしてもこの話題になりますよね。
高校説明会の情報は、正直とても参考になりました。自分だけでは集めきれない情報もあるし、実際に行った人の話はやっぱりありがたい。
でも、会話の途中で、少し空気が変わった瞬間がありました。
成績の話になったとき、こんな一言が出たんです。
その瞬間、私はうまく返せませんでした。
三女が近くにいたこともありました。長女の成績について、子どもの前で軽く話したくなかった。それに、なんとなく“探られている”ような感覚もありました。
結局、私は「そんなことないです」としか言えませんでした。
その場では笑って流したけれど、帰り道、ずっと考えていました。あの変な間は何だったんだろう。なぜ、あんなに心がザワッとしたんだろう。
帰り道に考えていて、ふと思いました。
あれは単なる情報交換ではなく、子どもの”位置確認”の会話だったのかもしれないと。
「どこの塾?」「どこの高校を考えてる?」「成績はどのくらい?」——こういう会話は、表向きは情報交換です。でもその裏に、「あなたの子はどの位置にいるの?」「うちの子と同じくらい?上?下?」という空気が混ざることがあります。
もちろん、相手に悪気があったかどうかは分かりません。本当に何気なく言っただけかもしれません。
ただ、私の中ではあの一言が、ただの会話には聞こえなかった。子どもの成績が、親同士の距離感や安心材料として使われているように感じて、その感覚が嫌だったのだと思います。
あのとき、うまく返せなかった自分に少しモヤモヤしました。もっと違う言い方があったかな。感じ悪くなかったかな。
でも、あとから思うと、あの返事は悪くなかったのかもしれません。
なぜなら、私は長女の成績を守ったからです。
- 三女の前で、長女の成績を話題にしなかった
- ママ友との会話の中で、子どもを比較の場所に出さなかった
- 相手に合わせて、必要以上に情報を渡さなかった
そう考えると、あの返事は逃げではなく、線引きだったのかもしれません。
成績も進路も、子ども自身の大切な情報です。親が会話の流れで何でも出していいものではない。私はそこに、無意識にブレーキをかけたのだと思います。
この出来事を整理するときに思い出したのが、『嫌われる勇気』で紹介されている「課題の分離」という考え方です。
簡単に言うと、「これは誰の課題なのか?」と分けて考えること。今回の会話に当てはめると、こうなります。
- ママ友がわが子の成績をどう見ているかは、相手の課題
- 長女の成績や進路は、長女自身の課題
- それをどこまで人に話すかは、私の課題
- 私の返事を相手がどう受け取るかは、相手の課題
こうやって分けてみると、少し心が軽くなりました。
私は、相手の期待に合わせて長女の情報を話す必要はなかった。相手がどう受け取るかまで、私が責任を持つ必要もなかった。
私が大切にすればよかったのは、「わが子を比較の材料として差し出さない」という自分の線引きだったのです。
もうひとつ役に立ったのが、NVC(非暴力コミュニケーション)の考え方です。相手を責める前に、自分の中で何が起きていたのかを見る方法です。
成績について探るような会話になった。
戸惑った。警戒した。少し嫌な気持ちになった。
長女のプライバシーを守りたい。三女の前で、きょうだいの成績を話題にしたくない。子どもを比べる空気に乗りたくない。安心して情報交換だけがしたい。
そう考えると、私のモヤモヤは、ただの怒りではありませんでした。
「私はこういう会話が苦手なんだ」「私は子どもを比較に使いたくないんだ」という、自分の価値観に気づかせてくれるサインだったのです。
モヤモヤって、邪魔な感情に見えるけれど、実は自分の大事にしたいものを教えてくれることがあります。心の中の防犯ブザーみたいなものです。少々うるさいけれど、まあまあ優秀です。
今回の会話、すべてが嫌だったわけではありません。
高校説明会の話はとても参考になったし、塾の情報も知らないことがありました。受験期の親同士だからこそ共有できる情報は、確かにあります。
だから、ママ友との会話を全部避けたいわけではない。大事なのは、情報交換と比較を分けることだと思いました。
高校説明会の日程、学校の雰囲気、塾の特徴——こういう情報は、ありがたく受け取ればいい。
でも、「成績はどのくらい?」「どっちが上?」という空気には、無理に乗らなくていい。
これくらいの距離感でいいのだと思います。
成績の話になると、親もつい揺れます。
子どもの成績がいいと、親として安心する。思うように伸びないと、自分の関わり方が悪かったのかなと不安になる。
でも本当は、子どもの成績は親の価値を決めるものではありません。
子どもは、親の作品ではない。親の通知表でもない。親同士の会話で並べるための数字でもない。
成績は、あくまでその子の今の学びの状態を知るためのものです。今、何が分かっているのか。どこでつまずいているのか。どんなサポートが必要なのか。そのために見るものです。
親が不安になるのは自然です。受験期ならなおさら。でも、その不安を他の子との比較で埋めようとすると、親も子どもも苦しくなります。
今回、私が一番引っかかったのは、三女が近くにいたことでした。
子どもは、大人の会話を思っている以上に聞いています。
「お姉ちゃんは成績がいい」「誰々ちゃんはすごい」「うちの子はまだまだ」——そんな何気ない言葉も、子どもの中に残ることがあります。
きょうだいの中で比べられているように感じたり、自分も評価されるのではと不安になったり、勉強は人と比べるものだと思ってしまったり。
親が守りたいのは、成績そのものだけではありません。
子どもが家族の中で安心していられること。きょうだい同士で比べられないこと。自分の現在地を、恥ずかしいものとして扱われないこと。
そういう心の安全も、親が守れるもののひとつだと思います。
今回の私は、「そんなことないです」としか言えませんでした。でも次に同じような場面があったら、もう少し自分の軸を持って返したいです。たとえば——
- 「成績は本人のことなので、あまり外では話さないようにしてるんです」
- 「うちはまだまだ試行錯誤中です。でも高校情報はありがたいです」
- 「成績より、本人に合う学校を探しているところです」
- 「子どもの前なので、細かい話はまた今度にしますね」
これくらいでいいのかもしれません。
相手を責めなくていい。でも、自分の守りたい線は守る。やわらかく、でも流されない。それが親同士の会話では大事なのだと思います。
- 高校や塾の情報は、ありがたく受け取る
- でも、成績の探り合いには無理に乗らない
- 子どもの成績は、親同士の位置確認ツールではない
- 子どもの情報をどこまで話すかは、親が選んでいい
- モヤモヤは、自分が大切にしたい価値観に気づくサイン
あの日、「そんなことないです」としか言えなかった私は、うまく返せなかったのではなく、子どもを比較の会話から守ろうとしていたのかもしれません。そう思うと、少しだけ自分を責めずに済みました。
これからも、受験や進路の話は避けられないと思います。
でも、情報は受け取りながら、比較には巻き込まれない。子どものことを、誰かのものさしに乗せすぎない。
そんな距離感が、親にも子どもにもやさしいのかもしれません。

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